取引の開始を抜刀のタイミングになぞらえる。
刀をもって立つ場所は決闘場であり、相手も刀を持ち、こちらの急所を狙っている。
誰もが募る恐怖と戦わねばならない。神経は引き裂かれ、不屈の闘志、冷静な判断、理性などまさに風前の灯である。
相場師となれば、それでも行動しなければならない。アナリストやエコノミストなら壇上の教師のように蝶々するだけでよい。身の前に身銭を積んで勝負するのが相場師なのである。
戦場や闘技場で戦うのは兵士、武士であって、将軍や監督、チームオーナーなどではない。
地球上のもっとも豊かな金鉱脈は、相場の中にあり、誰でも参加の自由な市場の中で、あなたの家の携帯電話、パソコンにどこにでもある街角に眠っている。ここから金を掘り出すのに、山奥の金鉱を探し当てる苦労はいらない。第一、探索して回る必要は無いし、地図もいらないし、面倒な採掘権もない。扉は万人に開かれており、決められた時間内ならだれでも運試しすることができる。ただし、巨万の富をつかんで退場するものは極めてまれである。
投資、投機相場の参加者には等しく、全く同じ事実が提示される。したがって、ここで金を掘り損ねたとすれば、だれの責任でもない、自分の責任である。
基本的に誰もが同じ条件のもとで、ヨーイドンで飛び出しているからである。しかし”競技者”がここで遭遇する障害は、困難は、金脈を当て込む山師の場合に勝るとも劣らない。一歩進むごとにガセネタに出会い、黄金と見まがう“黄鉄鉱”に目を奪われる。”空井戸”など珍しも何ともないし、砂嵐や極寒に見舞われるときもある。相棒の裏切りに合うかと思えば、いかがわしい女が色仕掛けで近づいてくる。人切り、ならず者、博徒が跋扈する血も涙もない世界なのである。
最も厄介なのが知能犯や詐欺師の横行であろう、やつらは、資金に見ぐまれたカモとみれば、二束三文のくずを高値で売り付け、運に恵まれた誰かが”大化け”悪実の株をつかんだと知れば、その権利をだまし取り、ドロンしてしまう。
「極秘情報」「値上がり確実」とささやく情報やも、相場の世界では切っても切れない存在だ。彼らは一獲千金の金の鉱脈の入り口に立ちはだかり、ケチな商品を売りつける。連中がカモにするのは主として新参者で、初心者に自分で鉱脈を掘るチャンスを与えず、言葉巧みに「限定情報」を押し付ける。楽して儲けろ、ここを出るときは王侯貴族、というのが連中のウリである。
簡単にカモにされる初心者がなぜ素朴な疑問を持たないのか、不思議に思う
「それほど貴重な情報を、見ず知らずの自分になぜ提供してくれるのか?」
「それほど有利な情報なら、なぜ自分で利用して王侯貴族にならないのか?」
「特定の商材を買うよう執拗に勧めるのは、価値のない商材を高値で売り付けようとしているだけではないのか?」
「売買益がそんなにたやすく得られるのなら、なぜ情報売りに精を出すのか?」
相場で財を築く過程には、数えきれないほどの落とし穴が待ち受けている。この真実をしっかり認識するとともに、そうした落とし穴に足を取られる場合があると覚悟する。
穴に落ちることは覚悟するが、何度も繰り返し落ちることを恐れる。
投資、投機の基本的な法則
・間違いを犯した場合、否定しようのない一つの事態が持ち上がる、金を失うということである。
・間違いのない、正しい道を進んだ場合、利益が得られる。
・したがって利益が得られたときにのみ正しい道を歩んだということができる、金を失ったということは、間違いを犯したということである。この法則は、否定できない法則であり、投機行為の真実である。
市場の周辺には、しゃべることであたかも自分の運が大きく開けるかのうように、相場についてしゃべりまくる御仁がいた。あるいは財産を無にしてしまった人間に慰めの言葉をかければ、当機構の真実に基づく失敗の痛みが薄らぐかのように、同情を示し続ける者もいた、リバモアが勝っても負けても、自分の取引について堅く口を閉ざした理由の一つがここにあった。相場で利益を得た場合、それは自分が正しかったかであり、損をしたとすれば自分が減をやらかしたからである。何の説明がいるであろうか?どこに文句を垂れる理由があるであろうか?
売買にかかわる自分の行為を徹底的に追求し、その目的はただ一つ、利益を得た理由、損に終わった理由を明確に意識するためだ。
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